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2008年12月

16

「今回の議題は、指導者を騙る輩の排除及び、処刑についてということで始めさせていただきます 」

いかめしい顔のおっさんたちやおばちゃんたちが数十名だろうか、部屋にいっせいに集まっている。

オレは、バールの側に座らされて、ことの成り行きを窺う破目になっていた。若そうな奴なんぞ誰もいない場所だった。

気のせいか……周りの大人たちの視線がやけに痛かった。

「バール君、今回は5人かね 」
一人の男が質問を始めた。
「ええ、元はといえば、この地区に常駐される指導者がいらっしゃらなかったのが原因なのですがね 」
「……では、単刀直入に聞くが 」
男は一呼吸間を置いた。
「その者が、我々の新しい指導者になるというのか? 」

視線がオレに集中する。
オレは……ますます萎縮していった。周りと目を合わせるのが怖いほどだった。大体こんな場に連れて来られるのが間違いなんだが……。
「はい 」
バールは、はっきりと強い口調で返事をした。

「……だが、見た所、我々となんら変わりが無いではないか? 」
「……この方は、事情あって、現界で暮らされていた 」
「現界だと?」
一同にどよめきがおこった。しかし、一番動揺していたのは、オレかもしれない。
「……あのさ……バール…… 」
奴は、慌ててオレの言葉を冷たく突き放すように遮った。
「貴方が話す必要はありません……まだその権限を許されてはいない 」
そして、改めて男の方を向いた。
「この方こそ、長年探し続けた『ベオウルフ』様なのです 」
「……して、その根拠は?証拠はあるのかね? 」
「なんなら、その偽者たち5人とともに『神の水』を浴びていただきましょうか? 」
自信たっぷりに、バールは言い放った。
オレは、軽いパニックを起こしていた。
『現界』……『ベオウルフ』……『神の水』……キーワードのような、その聞きなれぬ言葉に、恐怖を感じずにはいられなかったのだった。

……夢なら覚めてくれ……。
もう何度願ったことだろう。
自分自身が、何かとてつもないことに巻き込まれているらしい。
……それも、自分でどうすることも出来ずにいる。オレは無力だ。

朝が来る度に、目覚める度に……その落胆は大きい。
今日も一日、誰かと殴り合い・蹴り合いの稽古に明け暮れるんだ……。
こんなことなら、クラブで先輩にヤキ入れられる方がまだましだったっけ。
今のように、殺気を感じながら、周りに常に気を使う必要も無かったしな。
オレは、ノロノロとベッドから立ち上がった。

会議のあった翌日の訓練から、目つきの鋭い、体格の良い輩が増員されたようだった。
それまでは、オレと同じ体格の若造ばかりだったというのに……。
知らない顔ぶれが、たくさん並んでいた。

オレの前に、オレよりも頭ひとつ分、でかい大男が立っていた。
「お手合わせ願おうか? 」
……以前のオレだったら、あわくって、ケツまいて、逃げ出しているに決まっている。
しかし、今なら……ある程度相手の手の内が読めるようにはなっていた。

間合いを徐々に詰めてゆく。一瞬で相手の動きを読まなければならない。
先に攻撃はせず、常に受け重視、攻撃を繰り出したあとのわずかの隙を狙って仕留める。

相手には、動きを読まれてはならない。指ひとつ、目線ひとつで勝負は決まる。
自然体から、オールマイティに攻撃を繰り出せるのが、オレの長所だ。

5人ほど、沈めたであろうか……猛者たちの顔色が変わり始めた。

前半の稽古が終わり、休憩時間になった。
……最近、よく話しかけてくる男がオレに近づいてきたのだが、例の大男が割り込むように間にはいってきて、男を追いやってしまった。
……まぁ、オレにはどうでもいいことだったが。

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15

それから又……どれぐらいの月日が流れたのだろうか?

嫌な時間は、長く感じられるもので、……しかしもうこの頃には、オレは訓練生?のなかでも上手くなってきたほうだったと思う。
簡単に気で相手を倒すことができるようになっていた。

……どう説明すればいいのか分からない。現実世界でもあるにはあることなのだが、まさか自分がこんなことが出来るなんて思ってもみなかった。

バールは、オレへの態度を少しずつだが変えてきたように思う。
頭ごなしに怒ることも無く、オレも悪戯に食って掛かるようなことはなくなっていた。

「来週には、会議に出ていただこうかと考えています 」
「……会議? 」
「ええ。仕事を始めてもらうつもりです 」
その日の訓練が終わったあと、食事時にバールが切り出したのだった。

「仕事って? 」
「別に貴方にどうしろというわけではありません。ただ、黙って事の成り行きを見て頂ければ…… 」
「毎日毎日、人と戦う稽古をやらされて……今度は会議って……もう、訳わかんねえよ 」
オレはため息をついた。
「今の貴方なら、とりあえずの危険はないと判断したからです。これからもっと危険な目に遭うかもしれませんからね 」
「脅かすなよ。もう十分させてもらってるのにさ 」
バールは、苦笑した。

そうして、今までは、厳しかった部屋の出入りもある程度までは許されるようになってきていた。

しかし、身に着けるものはすべて、彼らから与えられるものだけだった。
寝るときは、相変らず裸の状態だ。全て取られてしまう。

自分が与えられた部屋には、備え付けのベッドと小さな台には飲み水が入ったピッチャーとコップのみ。
そして、自分の家であったなら、物置化していた机と椅子がが一組。
分厚い辞書のような本が数冊。もちろん漫画じゃねえ。この世界のしきたりとか歴史とかの……それが、何日かに取り替えられる。
これが……唯一与えられた刺激というか、娯楽というか……。

テレビやケータイやゲームで育ってきたオレには、本当につまらないものだったが、無いよりはマシだった。

それは、訓練のあとの休憩時間のことだった。
いつもなら一人でぼんやりと過ごすことが多い俺だったが、今日は珍しく組み手をやった相手が話しかけてきた。

「きみ、凄いよね。どこの地区から選抜されたんだい? 」
「えっ? 」

オレの驚いた顔に相手もびっくりした様子だった。
「あ、聞いちゃマズかったのかな…… 」
「……君は? 」
オレは、恐る恐る聞いてみた。
「へへへ……これでも俺、○○地区ではトップだったんだけれどなぁ。やっぱり、世間は広いよな 」
「…… 」
聞きなれない場所から選抜で集まってきたという彼ら……。
「あ……オレは、そういうのじゃないんだ 」
今度は、相手が驚いた様子だった。
「えっ?君は試験を受けなかったのかい? 」
「…… 」
オレは返事に困ってしまった。
正直に話そうにも、自分でもどう説明すればいいのか分からない状態である。
「まぁ、いいや。とにかく頑張ろうぜ。上手く使ってもらえりゃ、左団扇で暮らせるんだからさ 」
「……あのさ……ここで戦争かなんか、おっぱじめるのか? 」
オレは、小声で聞いてみた。……こんなこと、聞いてはいけないような気もするのだが……気になって仕方がない。
「何馬鹿なこと言ってんだよ。俺らの仕事は此処の警備じゃねえか 」

此処の警備だけに、選抜で人を集めているというのか……?
オレにはまだ、話が見えなかった。

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14

 一体、どれぐらい……時が過ぎたのだろうか……?

 刑務所(とオレが勝手に呼んでいる)に入ってから、オレはいろんなことをやらされていた。
 此処にに戻ってきたとき、オレは死なない程度に叩きのめされた。
 オレは、頭が良くないので、体で覚えさせる作戦か……?

 防御法……柔道の授業で受身をやったりはしたが、実戦練習なんかしたことが無い。まともにぶつかってくるから、生傷が絶えなかった。体の骨を締めて鍛えなおすのだそうだ。
 
 毎日、意識が飛ぶほど相手をさせられて……気が付いたら朝で……の繰り返しだった。

 それがもう、随分続いている。

 何十人かの修行者たちが、それぞれに自分の課題を練習している。緊張がたえない。
 そんな異様な風景の中に、オレは入れられてしまった。

 ハジキも刀も何も無い……『気』のぶつかりあいだ。
 拳ひとつがすべての世界なんだ ……ここは。

何の為にここまでやらなければならないのか、さっぱり分からない……。

 郷に入れば郷に従え……か。
 素人のオレでも、実戦を積めば何とかなるものだ。
 素質は持っていたのか……1対1……サシでなら、何とか相手の動きが分かるようになってきた。

 そうなると事は早かった。これは、悟りを開いたというのだろうか……?

 修行場での長い瞑想と気の練り方の練習。
 繰り返すごとに、何かがあふれて来るのが分かる。
 何なんだろう……? この感覚は一体……?
 
 「……オレを、傭兵にでもするつもりか? 」
 終わってから、傍らで様子を見ていた男(オレを監視でもしていたのか)バールに話しかけた。

 別に、こいつと仲がよくなったとかどうとかではない。単に話し相手が彼しかいなかっただけ……そういうことだ。

「傭兵に出来るほど、モノになるのでしょうかね 」
奴は、相変らず、さらっとイヤミを返してきた。

 今まで「馬鹿」なりに生活してきたオレだが、ここに来て随分言葉を覚えた。
……ってゆうか、そうしないと生きてゆけないことを、ここの生活で思い知らされたからだ。

「そろそろ……表に出す準備を始めようかと思うのですが。」
バールが意味ありげな言葉を他の奴らに話している。

一体何をしようというのだろう?
オレは、どうなっていくのか?
突き詰めてゆくと、頭がおかしくなりそうだ。
……このまま、奴らに従い続けるしかないのだろうか……。

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13

「……バール様は、悪い方ではありませんよ 」
老人は、僕の思うことを、見透かしているようだった。

「知っているのですか? 」
「言ったでしょう。この辺は、人の住むところではありません 」

静かな、低い声。不思議に落ち着く響きだ。

「オレ……もう……何を信じていいのか…… 」

「時が……解決してくれると思います。私が言えるのは、『自分を大切にしてください』……と、このぐらいでしょうか 」

「…… 」

「大丈夫。無理やり囚われるより、自らお戻りになられたほうがよろしいかと 」

せっかく、外に出てきたというのに……。
しかし、老人の言うことも、まんざら嘘ではないように思える。

「……もう少し……話を聞かせてください 」

オレは、これからのことを決めかねていた。

相手を理解したいと思ったら、まず話をすることだと分かっている。
でも、あのバールとか言う男は、必要最低限の事しか話してくれることは無かった。
この老人なら、それが許せるような気がしたんだ。

オレたちは、取り留めの無い話を、続けた。

……オレは出来る限りの知っている言葉を使って、老人は出来るだけ噛み砕いた易しい言葉で……。

若い頃は、老人は各地を転々と旅をしていたこと。
趣味は読書。地下室に大量にある蔵書の数がそれを物語っている。

オレは学生で、事故に遭うまでは、全く違う生活をしていたことを。
老人は……しかし表情を変えることなく黙って聞いてくれた。

この世界の他人が聞いたら、作り話だと怒りそうな……陳腐な僕の話を。

お陰で、やっと決心が付いた。
「……ありがとうございました。やはり……今は戻ったほうがよさそうですね 」

老人は、軽く頷いた。

「ジョイ、ヒコを……この方を途中まで、送って差し上げなさい 」

 「うん、じっちゃん、わかったよ」

 少年は、うれしそうに僕にまとわりついてきた。

 「いってくる 」

 

 

 二人で並んで歩く森。道らしき道も無い。
 本当に、どこまでも、果てしなく続いていそうだ……。

 「兄ちゃんはあの場所に住んでいたんだよね。凄いや 」
 オレは、苦笑した。住みたくて住んでいるんじゃネェのにさ……。
 「あそこはね、指導者と呼ばれる偉い人が祭られている場所なんだよ 」
 「……指導者? 」
 「うん、僕たちの地区には担当がなくて、あちらこちらから仮に来てもらっているらしいけれど。本来は、地区ごとにちゃんと住んでいるみたい 」
 「……? 」
 さっぱり意味が分からない。なんなんだ?それって……。
 「その……指導者って……何やってんだ? 」
 「僕にも、はっきり分からないよ。会ったこと無いんだもん。なんでもさ、色々な権限を持つことの出来る人らしいけれど…… 」
 「ふーん 」
 よく分かったような、分からないような……。

 その指導者のいるべき場所に、オレは連れてこられた訳で……。

 ……。

 まさか……だよな?

 やがて、建物らしき物が見えてきた。
 「ありがとう、もうここでいいよ 」
 「……又、来てくれる? 」
 あどけない笑顔。彼の笑顔はオレにとっては、救いだった。
 「うん 」

 オレはこうして再びあの場所をを目指した……。

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12

オレのひどくおびえた様子を察したのか……老人は、子供に目くばせをした。

「兄ちゃん、こっち、こっち 」
奥に、もう一部屋あって、その床下に物入れのような扉が付いていた。
考える余裕は無かった。
言われるままに……オレはその中に隠れたのだった。

「バードランド殿! 」
「どうされました?バール様直々、このようなところにお見えになるとは 」
「若い男……ここに……誰か来なかったか? 」
「いいえ。普段どおり……別に変わった事はありませんが…… 」
「失態だっ!現界から連れて来て、ちょいと油断していたらこの通りだ。……ろくな教育も受けてないし、どうしようも無い馬鹿だと思っていたが…… 」
男は興奮していた。

「まあまあ、少し落ち着かれたらどうです?……まだ、そんなに遠くにも行っていないでしょうから 」
老人が、なだめた。
「お気持ちは、分かります。そうですか……あの方なのですね。貴方がやっと見つけ出された大事な方というのは 」
「奴は……あいつ自身、そのことを、全く理解していないっ! 」
どんっ!と何かをたたくような音。床を踏み鳴らしたような音が響いた。

オレはオレで……恐怖で、頭が真っ白になっていた。

自分が、何かをさせられようとしていることは、分かっている。
……でも、どう考えても、オレにとって楽しいものではないらしい。

「兎に角、……人前にきちんと出せるようになるまで……儀式が終わるまでは、私の仕事なんです 」

「……見つかったら、お知らせいたしますゆえ 」

「ありがとう、頼みます 」

暫くして……ゆっくりと音をたてて、戸の閉まる音がした。

緊張の後にやってきた、安堵感と疲労感……。
オレは……やがて、いつも間にか眠ってしまっていたのだった。

ふと、気が付くと上から柔らかい毛布のようなものが、掛けられていた。
……ここは、例の地下室。壁一面に本がずらりと並べられていた。
明るくは無いが……ぼんやりと周りの状況は、うかがうことは出来た。

おそるおそる床の戸を押し上げて……出てみると、老人が、こちらに気づいたようだった。

「ああ、……気分は、いかがです? 」
相変わらずの、穏やかな笑顔だった。

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11

「こんな所で……何やってたの? 」
傷の酷いところをちょこちょこっと探し出し……手当てしながら少年は不思議そうに訊ねてきた。

「普通さ、こんなところ……そんな格好で、うろうろする人なんて見かけないよ 」

「……うん 」
力なく……笑って見せた。

「さあ。スープが出来上がったようだ。ジョイ、おしゃべりはそのぐらいにして、用意しなさい 」
「はい 」

野菜や豆のようなものがたくさん入ったスープの皿と雑穀の黒パンがテーブルに並べられた。
「……では、感謝して、いただこうか 」
老人と少年は祈りを捧げた。
オレも……見よう見まねで、黙ってそれに従ったのだった。

はじめは緊張していた僕だが、空腹も満たされてくると、やはりそれが少しずつほぐれていくのが分かる……現金なものだ。

「あのーー。……ありがとうございました 」

「君、……名前は? 」

「榊 龍彦(サカキ タツヒコ)……と言います 」

この世界に来てから、初めて自分の名を言ったような……気がする。
そういえば、例の男は、聞こうともしなかった。
まるで、以前から知っているような、素振りを見せていたんだ。

「私は、バードランド 。……そして、あの子は、ジョイ 」

老人は、少年を指差した。

「……息子さん……否、お孫さん?……ですか? 」
「……いいえ 」

穏やかに、老人は笑った。
「大切な……預かり物です 」

飾り気のない、整然とした室内だった。
他に民家らしき建物もなく……静かな場所だった。

「……どんな事情か分かりませんが…… 」
老人は、言葉を選んでいた。
「あのーーその……実は、僕にも、よく分からなくて…… 」
「? 」
何とも間抜けな会話だ。老人は……しかし穏やかな顔をしていた。

「……この辺一体は何も無いところでしょう?……ここは『指導者』を祭る
『聖地』。……一般人の住む場所ではありません 」

(指導者? 聖地?)
……またまたわけの分からない言葉が出てきたぞ。

指導者?……ドンパチ、革命でもやらかしそうな奴らのことだろうか?
聖地?……ゲームのやり過ぎか、変な解釈をしてしまいそうだ。

この老人に聞けば、何か分かるかもしれない。
そう思ったときだった。
入り口から声が聞こえた。激しく戸をたたく音。

「バードランド殿! 」
「!! 」

例の……男の声だった。

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ジョイとバードランド

さて、これからどうしよう……?
自由にはなったものの、見渡す限りの木々……森の中に出たオレは、再び不安に襲われた。
足は疲れてくるし、腹も減ってくる。

思い出すのは……元に住んでいた場所だ。
もう随分、家にも帰っていないような気がする。
周りを見回しても木や草や自然ばかり……高い鉄塔も電線も、それらしきものは何もない。
自分の暮らしていた世界では、ないのか、此処は ?

日も暮れかけてきた頃、オレはとうとう、大木の下にしゃがみ込んでしまった。
……もう、歩く気力も出なかった。
このまま、この世界でくたばってゆくのか、それとも『例の男』に見つかって連れ戻されるのか……いずれにしてもいい答えが浮かんでこない。

……涙が出てきた。

その時だった。「がさっ」という音が、草むらから聞こえて……。
現れたのは……少年だった。

オレも驚いたが、彼の方も驚いたような丸い目を見開いていた。
小学校低学年ぐらいだろうか・・・・・・?
あどけない顔。肩ぐらいまで伸ばした髪を、ちょんとうしろに結わえていた。

「……何してんの? 」

と聞かれても、この状況を説明出来るわけがない。
ぼろぼろの服を着て、体中は擦り傷だらけ、足を投げ出して、泣いている男をこいつはどう思っただろうか。

「……血が出てるね。」
「…… 」

少年は、人なつっこく笑った。
こいつ……得体の知れないものが怖くないのかよ? と、その態度にオレの方が驚いてしまった。

「家……来るかい?手当て、してやるよ 」

子供だったのが幸いした。
オレは、黙って彼の後について行ったのだった。

小さなログハウスのような家だった。

「じっちゃん、ただいまー! 」

少年に連れられて、中に入ると、年配の、白いひげを蓄えた穏やかな老人が暖炉のそばに座っていた。

「お客さんを連れてきたよ 」

少年は、うれしそうに僕を後ろから老人の近くに追いやった。

オレは、黙って軽い会釈をした。ドキドキしていた。
老人はというと……しげしげとオレの姿を眺めた。
やはり、このぼろぼろの格好は、おかしいに決まっている。
しかし、老人の口から出た言葉は以外だった。

「どうぞどうぞ。何もありませんが、ゆっくりしていってください 」

そう言って、少年と同じく笑ったのだった。

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それから、幾日がすぎたある日のこと、やっと機会は訪れた。
ほとんど、例の男とだけしか関わる事がなかったのだが、その日は、たまたま別の男が入ってきたのだった。

オレは、分厚い辞書のような本を与えられて、途方に暮れていた。
ただでさえ、勉強なんてくそ食らえ……と思っていたほうである。実際、出来も良くはないほうだった。

「バール様。……お話があります 」

そう……例の男の名前だ。
「何だ?ここでは言えないのか? 」

もう一人の男は気まずそうに……オレをチラッと見た。
「……ええ 」

二人は、オレを気にしながらも、隣の部屋に移ったようだった。

しばらくすると、二人の、何か激しく言い争っているような話し声が聞こえてきた。
どうやら、チャンスがやってきたようだ。

オレは、音を立てないように気を使いながら……隣の部屋とは違う、廊下側の戸を開けた。

鍵がかかっていないのは、さっき男が入ってきたので確認していた。
男たちは……言い争いの真っ最中……。

オレは、後先も考えすに、廊下を出て、渡り廊下のような場所から一気に庭の茂みに潜り込んだ。

(……とにかく外へ出たい! )

オレは……それだけを考えていた。

アウトドアなら、親父と何回か経験はあるものの、こんな地形の分からないサバイバル状態は初めてだ。

冬山や炎天下のような過酷な気候ではなかったし、こんなに緑があるのなら……水は何処かにあるのだろう。
全くの計画性なしの行動だった。

少し歩いてみると……中からでは見えなかったが、この場所は高い塀で囲まれているようだった。
3メートル程だろうか……外との接触を拒むかのような造りであった。
家……というよりも、美術館や博物館のような公共の建物のようだ。

緑の木々の中を歩いていくと、体中いたるところに引っかき傷が出来た。
粗末な素材の簡素な服地なので、間単に破けてしまう。
衣服というより雑巾でも着ているようだ。

壁と壁の間の鉄格子のお陰で……オレはやっと外に出ることが出来たのだった。

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とりあえず、生命の危機は、考えなくていいようである。
しかし、この状況は、オレにとってはとても困ったことだった。

「会話」が出来ない!

英語のリーダーやグラマーが出来なくても、日常生活では全く困らなかったが、これは本当にまずい。

長髪の男が話す言葉は、聞きなれない単語があって……オレは、何度も(分からない)と首を横に振った。
男も……やがて、あきらめたようで、その長々とした説明はやめてしまった。


……それから、どれぐらい、時間が過ぎたのだろうか。
最低限の食事と衣服と寝るところだけは、与えてもらっていた。

家で飼っている「ペット」が、こういう暮らしをしているような……オレん家には居なかったが。

ふと思ってしまった。後は散歩ぐらいなものか。犬か、オレは。
学校には行きたくなかったが、こうやって一日何もせずに過ごすのも疲れるものだとこのとき初めて思い知らされたのだった。

会話が出来なくたって、こんなことになれば、さすがに誰かにそばにいて欲しいわけで……毎日、男が来るのを待つ自分に、情けなささえ感じている。

とにかく、『聞く』事に必死になっていると、なんとなくだがニュアンスで分かってくるようだ。
勉強嫌いのオレでも、生活がかかればこんなものだ。

何日か過ぎて、ある日、やっとオレは、窓のない部屋から、出してもらうことが出来た。

扉のむこうは……まぶしいぐらい明るかった。
何日も外の光に触れていないものだから・・・目が慣れるまでずっとあけていることが出来ないほどであった。

長い廊下が続く。
とてつもなく大きな建物のようだ。
やがて……左手に庭らしき緑が目に飛びこんできた。

空気が澄んでいるのか、きれいな色だ。
気温は穏やか、暑くも寒くもない。
実際、部屋に空調設備は見当たらなかったし……本当に何もない部屋でオレは過ごしていたのだから。

数日の間に、少しは話せるようになっていた。
人間……追い込まれるとなんとかなるものらしい。

ここまでに来るのに、いろいろな葛藤があった。
恐怖心……不安感……疑問……しかしだんだんと怒りも感じ始めていた。
何で、こんな目にあわなきゃならないのか?
『保護』って一体何からオレを守ろうというのか?
何かの特殊撮影で、実験台にでもされているようだ。
動物扱いかよ!全く……。

見渡す限り、どこまでも続くこの緑の先に何があるんだろう。

(……ここから、出たい! )
オレは、そう思っていた。

 

「これからオレは……どうなる? 」
片言だが、おそるおそる聞いてみた。
「仕事を覚えていただいて、やっていただくだけです }
「……仕事? 」
「与えられた通りに、行えばよいだけです。なに、心配は要りません 」
「……でさ、何時、帰れる? 」
「……何のことです? 」
男は、驚いたようだった。それを見たオレも驚いていた。
「貴方が……こうなることを、望んだのではないのですか? 」
「え? 」
「現界での暮らしから逃げたいと……。そう思われていたではありませんか? 」
「違うっ! 」

ここからは……オレは、日本語で叫んでいた。興奮して声を荒げながら。
「クラブとか学校とか……そういう事には嫌気がさしていたけれど、こんな事は望んでいなかったっ! 」
「……」

男は、少し意外な顔をしたが、それ以上変わった様子を示さなかった。
オレの事を「害のないガキ」にでも思っているのだろう。
(実際、男は……オレよりも幾分年上のようだった)

上手くしゃべることが出来ないもどかしさ。
丁寧な言葉や会話に隠された態度。男に蔑まれているのが、よくわかる……悔しかった。

後先のことなんて、考えられなかった。
(今に、ここを抜け出してやる…… )

ここが何処か分からないのに。
ここを出て、どこへ行けばいいのか分からないのに。
廊下からみえる、どこまでも広がっていそうな緑は、オレを隠してくれそうな気がした。

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無機質な部屋、色合いも何もない。
窓も明かり取りも……。外の様子は、一切分からない。

灯りは薄暗い間接照明のようなものが……。
あるといえば、寝かされているベッドだけ。

オレは、この事態を把握するのにずいぶんと時間を要してしまった。
(何で?素っ裸? )

車に当てられたはず……なのに別に変わった様子もない。
痛くも痒くもない。
それにしても……何処なんだ?ここは……?

やがて、静かに入ってきたのは、例の男であった。

あの不気味な声の正体だ。

「さて……何からお話しましょうか? 」

彼の話し言葉は、明らかに、日本語ではない。
しかしそんなことよりも、今回、オレが……オレ自身が、その意味が理解できることに驚きを隠せなかった。
聞いたこともない言語。意味は分かるが、話すことが出来ない。

普通なら……大声を上げてパニックを起こす場面なのだろう……。
しかし……あまりにも常識とはかけ離れすぎている。

体中に戦慄が走った。

怖い。怖すぎて、声ひとつ、あげることが出来ない。


「そんなに、怯えないで下さい 」
よく通る声。気味が悪いほど優しく、かなり押さえたような話し方だ。
余計に恐怖を感じる。

「うまく、現界人に紛れておられたようですね。……探すのが、大変でした 」

「現界……人って? 」
聞いたこともないような言葉だった。

「他の者も、貴方を探すのに躍起になっております 」

怖さもあってか、オレには話が、見えなかった。こいつは、何を言っているのか?
まるで……異世界から人をさらいにでも来た宇宙人のようだ。
どこかの国のように。

早くこの状況から抜け出したかったが、どうしていいのか分からない。

「まだまだ、こちらでの問題も片付いておりません。……とりあえずは、
ご無事で何よりです 」

 
どうやら、危害を加えられるわけでは、なさそうだった。

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嫌なことというのは、立て続けに起こるもので……。

交通量がそろそろ増え始める時間帯。
メイン通りの信号を、オレはもうすぐ渡り終えるという状況だった。
青信号が、点滅を始めた……そのとき、突然後ろから走ってきた車が、スピードを落とさずに右折……。
まるで、オレを無視するかのように、まともに突っ込んできた。

(あっ! )
と思った瞬間……もうオレは、何がなんだか分からなくなっていた。
どんな格好で飛ばされたのか、鞄がどうなったのか……。

 

次に気がついたのは……病院のベッドの上……ではなかった。

見慣れない天井を暫くぼんやりと眺めながら……記憶を辿っていく。

えっと……行きたくない場所(学校)に行く途中……信号渡ってて……左から車が来て……。
……交通事故?……じゃなかったっけ?
そろそろと……体を起こしてみる。
痛みは……ない。手足だってちゃんとついているし……。

と、そこで、自分が素っ裸にされていることに、気づいたのだった。

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  「あのさ…… 」
 「なんだよ? 」
 「何かーー変なんだ。からだが……だるくてさ…… 」
 「あんたが、変なのは生まれつきだろ? 」

 (ちっ!! ばーさん、いつもの仮病だと決めかかってやがる )

 冗談で、軽くかわされちまった。やっぱり、日ごろの行いが悪いとこうなるんだな。
 「さっさと、用意して行っちまいな!……どうせ、あんたってば、毎日弁当食って帰るだけなんだろうが 」

 オレの行動は……読まれている。今のばーさんには、何を言っても通用しねぇ。
 あきらめて、行くとするか。
 幸い少しだが、ましになってきたような気もするし……。

 オレは馬鹿だが、ばーさんに逆らってまで生きることは出来ないことだけは、理解していた。最低だよな。全く。
 「家庭内暴力」をやってまで、自分の生活を壊したくない……言わば、『小心者』だ。

 オレは、のろのろと立ち上がった。

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「龍彦っ!! この馬鹿はいつまで寝てんだいっ!! 」

 けたたましい母親の怒号で、オレは目を覚ました。
 このばーさんの声は、目覚まし時計以上の威力だ。感心するぜ。
 しかし……頭が異様に重い。

 (変な夢を見たせいなのか? )
 やけにふらふらする……ああ……気持ちわりぃ……。
 とにかく食卓のテーブルにつくのがやっとであった。

 「あんたねー、また寝ずに何かやってたろ? まったくーーろくでもない子だよ、ゲームかケータイだか、いい加減にしな! 言いたかないけどねっ! 」

 小言を言いながら、彼女は手早く朝食を並べてゆく。

 (なら言うなよ)と言いたいところだが、それどころではなかった。
 オレはテーブルに突っ伏して、事態が収まるのを待った。
 頭が、いてぇや。

 「さっさとしなよ!小学生のガキじゃあるまいし! 」

 母親はさらにまくしたてた。
 こうやって聞いていると、彼女は、凄いおばちゃんに見えるだろうが、日ごろからこれを聞いているオレとしては、これが普通の風景だ。
 父親はフツーのサラリーマン。……朝早くから、ご苦労様の電車通勤だ。
 
 あーーやだねーー。何年後かには、オレもそうなってんだろうなぁ……。

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「……サマ」

床に入ってから……何時頃だろうか?

近くに時計を置く習慣のないオレには、皆目見当がつかなかった。
辺りはまだ暗い。
オレは、誰かに呼ばれたような気配で、ぼんやりとうす目を開けた。


例の男が立っていたんだ。
暗闇の中、長い髪で顔を隠すように伸ばし、ガッチリとした体系。
一目で男だと分かる体つきだ。

その時オレは、はっきりと覚醒していたんだろうか?
あるいは……やっぱり夢だったのかもしれない。
声を出したくても、出すことが出来ず、縛られたように動けない。
ただ、男の声だけがオレの頭に響いていたように思う。

「アナタノ……ノゾミ……カナ……エテ……アゲマ……ショウ」

日本語だったかどうかさえ、はっきりとは覚えていないが、そういったことを、話していたようだった。
(と、その時オレは思ったんだ)

男は、手を組むと……いきなり何かを唱え始め、オレの体に何かを押し付けた。

「いっ! 」
かなり強い痛みが全身を突き抜けた。

「……ツギノ……ケッカイ……ガ……トカレタラ……」

次の瞬間、ふっと力が抜け、体が軽くなった。
慌てて起き上がると、すでに男の姿は消えていて……もうそこには、何もなく、ただいつもの暗闇だけが広がっていた。

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2

何もかも、嫌だった。
この世界から逃げ出したいと思っていた。
楽しいことがあるわけじゃない。

彼女と呼べるような女友達がいるわけでもなし、勉強ができるというわけでもない。……まあ、十人並みって奴で。
家に帰れば、うるさい母親(ババァ)。
部活なんかやってると、携帯代の為のバイトすら出来やしねえ。

おまけに先輩たちのいじめときたもんだから……たまったものではねえもんだ。

コンビニで漫画を立ち読みしたり……適当にぶらぶらと時間をつぶしてから、オレは家に帰った。

母親とは、この頃は目を合わせることもなく、オレはさっさと部屋にこもってしまった。
部屋に戻り、荷物を放り投げ……ベッドに腰を下ろし、襟を緩めた。

その時だった。何か聞こえた気がした。

(……コンナトコロニ……カクレテイタトハ)

……?
オレの部屋にはテレビはない。……勿論、親の声でもない。

……幻聴か?
(……ミツケタゾ……)

それが、不気味な声を聞いた最初であった。
聞くというより、体で感じたような……そんな響きであった。

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「ヒコ 」

学校からの帰り道だった。
後ろから、急に声を掛けられて、振り向くと……そこに義人がいた。
「おまえ……いい加減に、顔だせよ。部活 」
「……」

(ちっ、またかよ…… )

オレは返事をせずに、再び歩き出した。
義人があわてて、後ろから続く。
「ずっと一緒にやってきたんじゃねえか!
……そりゃあ、先輩たちのやり方にも、問題はあるけれどよ…… 」

一週間前のことだ。
オレと義人は、バレー部の1年生。
言わずと知れた、「パシリ」ってやつだ。
御多分にも漏れず、いいように使われていたオレだが、我慢にも限界がある。

オレは……思うに、彼らの目には、都合のいい「子分」ではなかったようだ。
「スペシャルメニュー」なる陰湿な嫌がらせにあって、ほとほと嫌気がさしていた。

「……なぁ、ヒコ。俺からも侘び入れっから・・・なぁ? 」
「……うぜえんだよ 」

オレは、捨て台詞を吐いて、足早にその場を立ち去ったのだった。

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始まり

それは本当に……突然にやってきたんだ。

深緑をした長い髪の男。顔が分からないぐらいに、無造作に伸ばして。
明らかに、日本人ではない、いでたち……いや、現代のものとも思われない格好をしていた。
今考えると、実像ではない……夢だったのかもしれない。
でも、あの映像は、今も頭から消えることはない。

あいつのせいで、オレの人生は終わってしまった。
普通の人間として、生命を全うすることなく、オレは違う「もの 」になってしまった。

あいつのせいで、オレは……。

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